こんにちは、海外在住歴のある青星いるかです。
私達はふと思い立って、ニュージーランドに移住した経験があります。
2022年の5月3日からは、観光でも入国が許可されるみたいですね!
これでまたいつでも行けることになりました☆
私のニュージーランド移住生活は、紆余曲折あったので、トータルで6年といったところでしょうか?
まずは学生になって、オープンワークビザを申請し、それと並行して小さな会社をつくり、大家さんになって。
それから、夫がニュージーランドに来て、ワークビザを勝ち取り、私がそのパートナービザで暮らすといった形でした。
なので、私がニュージーランド移住してからは、けっこう別居生活の期間も長かったです。
ただ、私がニュージーランドで学生をやっている時は、夫がまだ日本で働けたので、生活費の心配などをしなくてよく、大家になるための物件探しに時間を避けたのは、とてもよかったです。
同級生たちは、中国人以外は生活費のため、アルバイトに精をだしていましたから。(中国人の子たちはみんなお金持ちでした。)
もちろん細かい点で、計画通りには進んでいないこともありますが、準備を重ねて実行したことは、だいたい形になっている感じです。
本当にここまでありがとう!と感謝してもしきれません。
移住した当初、雨が吹き荒れる中、住むところもうまく見つけられずに、本当にここでやっていけるのかな?と途方にくれていた自分に、こう言ってあげたいです。
「大丈夫。君は6年も色んな経験をこの国ですることができるようになる。不動産投資も色々とあるけど、なんとか成功する。今はまだ出会っていない、色んな人が助けてくれるよ」
一番価値のあることって何だろう?
私が海外の編集部で働いていた頃、雑誌の企画で、レシピを提供してもらったシェフがいました。
とても才能のある青年なのですが、彼とは学校や職場ではなく、友人のパーティを通して出会ったので、いくつもの食卓を共にしました。
友人も彼もチャイニーズなので、いつも彼が作ってくれた大皿料理を大勢でわけあって楽しみました。本当においしいのです!
最初に出会ったとき、私は朝の5時からカフェで働き、ぼろぼろの粉まみれ。色んなことに疲れ果てていた頃でした。
それでも、パーティがはじまり、彼が次々と創りだす料理の数々をあまりのおいしさに感動しながら食べていたら、パーティが終わる頃には、すっかり身体が軽くなっていたのです!
ああ、エネルギーってこういうことなんだ。
エネルギーを込めて創られたものを食べると、本当に元気になるんだと、身をもって体験しました。
出会った頃、彼はまだ24才で、女の子との理想のデートや混浴へのあこがれ?などを無邪気に語っていたというのに、数年前に会ったときにはすっかりたくましい大人の男性になっていました。
いつのまにやら、おうちも買って、大家さんもはじめていたので、びっくり。翌年には、結婚するとのことでした。
婚約者も不動産投資をしており、二人で経営しながら、レストランもいつか開きたいとのこと。
そんな急成長ぶりを嬉しく思うと同時に、ねえ、そんなに早く大人の男になっちゃわなくてもいいんじゃない?
いつもみたいに、女の子の話をして、冗談を言ってよ〜と心の中で思いましたが、口には出さずにおきました。きっと何かが彼を、決断させたのでしょう。
待ち合わせ先にあらわれた彼はニコニコと両手を広げてくれたのでハグをしたら、また会えたことが嬉しくて、すごく幸せな気持ちに。
この間、会ったのいつだっけ? もう2年も前だよ〜!と笑いあいました。
そうか、この人とは、何度も一緒にみんなでごはんを食べて、きついときには冗談を言い、忙しいときには編集部の仕事を手伝ってくれて、
ちょっとずつ時間や思い出が積み重なって、いつのまにかこんなに懐かしく思うような縁になっていたんだ、と驚きました。
彼だけでなく、私をいつもパーティに誘ってくれていたカップルや、クラスメートのシェフたちにも、そうやって助けられてきたのです。
若い彼ら、彼女らとの交流は、本当に想像していなかった贈り物でした。純粋な心で恋をし、今は何を持っていなくとも、明日を切り開いていく若い力。
その様子を見ていると、守りに入っている自分に気がつき、「まっ、なんとかなるかー」と明るい気持ちを取り戻したものです。
ふと気がつくと、台湾で仕事をしていた父のおかげなのか、台湾にも兄弟・姉妹みたいに思える人々がいつの間にかできていました。台湾に行くと帰り際にこう聞かれます。
「ねえ、次はいつ帰ってくるの?」と。そうか、ここはいつのまにか、「帰ってくる場所」になってたんだなと感慨深いです。
そういうことが、勇気をふりしぼって、海外にでてきた私が得た、一番大事なことなんじゃないかと思います。
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