とても言葉というものが好きで、ついつい頼ってしまうのですが、ときとして、言葉の無力さを感じます。
悲しい思いをしている人の隣にいて、何か声をかけることもできず、ただ黙って座っている。
そんな思いをしたことがある人は多いんじゃないでしょうか。
でもへたに言葉を探すより、不用意に口に出してしまうより、そっちのほうがよっぽど伝わる何かがあることも多いわけで、
帰り際にその人が笑顔を少しみせてくれたことでそのことに気がつかされたりします。
そうかと思えば、悲しみにくれているこちらの隣で、とにかく何かを話まくる、不器用な人もいたりします。笑い話だったり、すごく専門的な話だったり。
そんな人の顔を見て、愛しい気持ちが沸き上がり、そんな気持ちとは裏腹に、思わず吹き出してしまうこともあったり。
そんな優しい心をもった当の本人は、なぜ突然笑いだしたのかと、
きょとんとしていたりするのですが、こちらが笑顔をみせたことで、ほっと安堵したみたいな表情になる。
そんなことは日々のささやかな生活の中で、繰り返しおこっているのでしょう。
サン=テグジュペリ
「星の王子さま」の有名なセリフ。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目には見えないんだよ」
(サン=テグジュペリ「愛蔵版 星の王子さま」岩波書店、より引用
例えば愛は、目には見えませんが、隣にいる人たちのその愛を、私たちは敏感に感じているものです。
彼女たちの発せられない言葉や、彼らのぶっきらぼうな言葉の、その向こうにある温かな気持ちに、いつでも目を向けていたいなと思います。
道ばたですれ違うとき、カフェでオーダーをするとき、にこっと微笑むだけで、見知らぬ人とも、エネルギーを交換できます。
「社会貢献」や「世界平和」などというと、どうやったらいいのか途方にくれてしまいますが、例えば、店員さんの笑顔で気分良く1日がはじまって、
自分も他の人に親切にできるというような、ささやかな愛の循環を、誰でも経験しているのだろうと思います。
そうしたらきっと、争いみたいなことは、減っていくんじゃないでしょうか。