海外で家を買った、会社をつくった、と言うと、
(実生活で、あんまり人には知らせていませんが)
びっくりされることが多いのですが、
家を買うと決意したのをのぞけば、あとは
基本的に全てただの「成り行き」です。
銀行からローンを貸りるのに、会社名義なら貸りられるから、
会社を至急作ってと日本にいたパートナーに言われたときも、
「え〜、なにそれ。今、会社とか、ぜったい無理むり〜。
だって、明日、テストだもん。卒業かかってるもん。
魚の名前、英語で覚えないといけないんだから!
会社とかつくって、単語忘れたら、どうしてくれるの〜?」
と本気で断ったのを覚えています。
料理学校に通いながら、社長になって融資を受けられることに
まだそのとき、私は料理学校の学生だったのです。
パートナーは、まだ日本で働いていたので、
断り切れずに、融資のことで銀行に足を運ぶときも、
制服からスーツに着替えていきました。
一度、通学途中に融資関連で、電話がかかってきて、
あわてて制服のまま銀行に直行したとき、
「本当に学生なんですね!」と銀行の方に驚かれました。
よく貸してくれたものです。感謝、かんしゃ。
よくよく考えてみると、
遊牧民的に暮らすのが理想だった私にとって、
「マイホーム」というのを夢みたことはなかったし、
ローンとして「長期間、一定額を払わないといけない」というのは、
すごく窮屈なことに思えていました。
ひょんなことから、パートナーの
ロバート・キヨサキさんの『金持ち父さん、貧乏父さん』(筑摩書房)を
読んだときの最初の感想も、「なんだか貧乏父さんの人柄や生き方のほうが好きだな」
というものでした。
貧乏を清貧とあがめているわけではなく、労働組合をつくられないように目を光らせている
抜け目のない金持ち父さんより、
信念を貫ぬこうとして、教育のフィールドからはじきだされてしまった、ある意味不器用な貧乏父さんの方が、よっぽど「男気」があるように思えたからです。
そういった登場人物の好き・嫌いは別として、「負債と財産」の違い、や「お金や自分の働かせ方」
といった側面については、
なるほど〜と思うところがあったので、学べるところだけ、できる範囲でまねをしてみました。
不動産投資に関する書籍を、何十冊読んだでしょうか?
セミナーや懇親会のようなところにも、顔をだしてみましたが、日本では5年くらいは、買い付けをいれつつも、何も進展しない感じで「なんでなんだろうなぁ?」と思っていました。
弟子の準備が整ったときに、師はあらわれる
こういう風になりたい!というモデル(メンター)と出会えていなかったから、かもしれません。
弟子の準備が整ったときに、師はあらわれる、とよく言われますが、私の場合ニュージーランドで、それはおこったのです。
まずニュージーランドに移住の下見をしにいくにあたり、海外不動産投資、の本も読んで著者の方にメールを送ったことからその一連の流れははじまりました。
その方が会ってくださり、貴重な教えをいくつも学ぶことができ、それから1年後には会社をつくることになっていました。「まぁなんかあったら、売っちゃえばいいんですよ」と
ほがらかにおっしゃたその言葉が、ああほんとうだ、すごくNZ的でステキ、と胸に残りました。
あとは、ニュージーランドの家に一目惚れした、というのも大きな理由かと思います。
芝生のある庭に、かわいらしいレンガや木のぬくもりのある家々。
100年ものの家のほうが、価値があるくらい、よく手入れをされています。
家を探して、見に行くのが、とても楽しかったのです。
外からだけを入れたら、何百軒も、見たんじゃないでしょうか。
今から考えてみると、不思議なものです。
『金持ち父さん、貧乏父さん』を読んでいた頃の自分に、「君、日本じゃなくて、ニュージーランドで家を買うよ。それで小さい会社をつくるはめにもなる。まぁ色々あるけど、頑張ってね、ふふふ」といっても、全然信じなかったことでしょう。
日本での5年間も、必要な準備期間だったのだと今では思いますが、
もしそのあいだに、実践で試してみれば、もっとコツをつかむのが早かったことでしょう。
結局日本で買っても、移住する際に、売ることになっただろうし、今よりさらに失敗もたくさんしたでしょうが、経験がたくさんのことを学ばせてくれたにちがいありません。
直感を使ったら、あとは走りながら学び、トライアル&エラーを繰り返すのが、結局は一番学びが多いのかと思います。